人生を笑え:ドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』
前回の記事で、家族の揉め事を描いた昭和ドラマについて書いた。
今回は『マーベラス・ミセス・メイゼル』を紹介したい。
アマゾンビデオオリジナル作で、レイチェル・ブロズナハン主演のドラマ。
1950年代のアメリカで、夫に捨てられた専業主婦ミッジがスタンドアップコメディ(漫談)を極めるというストーリー。コメディエンヌとして成長していく姿、そして50年代の洋服、音楽、町並み、インテリア。一見美しい映像であるが、中身はどろどろ。過激な言葉を用いたスタンドアップコメディには様々な社会問題が織り込まれている。楽しく見ていたはずなのに、家族や人種や宗教、そして女として生きることについて考えさせられる。
ミッジは主に自分の家族のことをネタにする。夫や自分の両親などに言われたことをベースに、自分の身に起こった悲劇を笑い話に昇華する(よく考えるとなんにも笑えないのだが)
ドラマの放送時間50分のうち45分は家族喧嘩。そして残り5分でその喧嘩について舞台で話す。最初の数話はそんな感じ。
とにかく口論口論口論。
視聴者的にもしんどい。しかも口論しても解決しないことばかり。白熱しすぎて変なことになる場合も多い。が、なぜか思わず笑ってしまう。
夫が馬鹿な秘書(異教徒)と不倫したとか(自分は名門大学を卒業してすぐ結婚した)
子どもの頭が大きいとか、兄の嫁が不妊に悩んでいるとか。
「そんなことw」と切り捨ててしまうのも簡単だが、そうはいかないのが人生であり、特に1950年代という時代の生き辛さをひしひしと感じる。
それから、ミッジのマネージャーがまたいい味を出している。ビジネスの関係以上の友情があるような、ないような。人生に寄り添っているようで寄り添っていないような。それでも突き放しはしない、曖昧な距離を保った二人の関係性が良い。
自分の中に抱えた苦悩は、笑いにかえていかねば人生やっていけない。
悲劇と喜劇は表裏一体。
ここまで攻撃的な笑いでなくとも、愚痴を愚痴でない形で面白おかしく話せるようになりたいと思う。ミッジ、めっちゃかっこいい。
まだ1stシーズンしか見ていないんですけどね…笑
沈黙を飲み下す、家族の話
あなたは家族と食事をしていて、気まずさを感じたことはあるだろうか。
美味しいはずの食事を口にしながらも、ぼんやりとしか味を感じられず、ただ一刻も早くこの食事時間が終われと願ったことはあるだろうか。
場を和ませようと、とぼけた声で「美味しい~」と言ってみても、その言葉がただ虚空を彷徨って消えてしまった経験はあるだろうか。
私はそんな食事を幼い頃から何度も経験している。
食卓が窮屈だと感じることがよくあった。
生活の多様化に伴い「孤食」が広まった現代では、家族で食卓を囲む事自体が珍しくなっている。家族で一緒に食べているだけマシだと思う人もいるかもしれない。
うちでは夕飯だけは全員が揃って食べる習慣がある。それは自分が反抗期のときも、受験生のときも、変わらなかった。
ところが、その家族で囲む食卓はずいぶんと暗く、気まずいものであった。
誰かの誕生日、クリスマス、大晦日。
そうしたイベントごとは特にギスギスする。正直祝わないでくれとすら思っていた。
今ではもう祝うこともない。「おめでとう」で一応乾杯して終了。
大学で出会った友人が言っていた。
「家族は宗教である」と。
家族特有のルール、家族特有の食文化。何を重んじるか。各家庭ごと決まりごとはたくさんあるだろうが、それには正解も間違いも無いのだと。
私はこの言葉を聞いて妙に納得がいった。
宗教は生きる上での指針になるが、縛られる必要もない。改宗もできる。
他の宗派と違っても、それを悲観的に思う必要もない。
それは家族も同じだと、そう感じたのだ。
「理想の家族像」というものが自分の中にはあった。家族で食卓を囲んで、わいわいと話をして、今日の夕飯美味しいね、などと話す。何で刷り込まれたかはわからないが、そんなイメージがあった。そして、それとは程遠い自分の家族にうんざりしていた。
でも実際、そんな絵に描いた「あたたかな家庭」を実現できている家族なんてごくごく僅かだろう。どの家庭にも悩みや問題がある。
『肝っ玉かあさん』というドラマをご存知だろうか。
プロデューサー:石井ふく子 脚本:平岩弓枝 主演:京塚昌子 で、1968年に放送がスタートした家族ドラマ。
世間的には『ありがとう』や『渡鬼』が有名だと思うが、私はこの『肝っ玉かあさん』とそれから『明日がござる』が大好きだ。
根っからの悪人は出てこない。みんな自分のことで精一杯だったり、あるいは家族のためを思ってやったことが裏目裏目にでてしまい、そんなつもりはまったくないのにあれよあれよという間に家族喧嘩に発展してしまう。「夫婦喧嘩は犬も食わないよ!」というセリフが何度出てくることか!笑。
本当にうまく作られている。「その思いを素直に伝えればいいのに!」と視聴者が思ってしまうような言葉を、登場人物たちはうまく伝えられずにすれ違ってしまう。見ているこっちが「お母さんはそんなつもりでやったんじゃないのよ~」とテレビに話しかけてしまう。(22歳 女性)
現在、テープが残っているのが第3シーズンだけということで、38話分しか見られないのだが、その内容の9割は家族喧嘩。それくらい家族がすれ違い、ぶつかり、話し合う。
私はこのドラマと出会ってから、家族ってやっぱり仲良しだけではやっていけないよな、と安心した。「助け合い」は言い換えれば「干渉」。その全てがうまくいくわけではない。一番近い存在で、一番深く関わる存在で、一番思い合う関係だからこそ、衝突がおこるのだと、そう考えるようになった。
とはいえ、ご飯は美味しく食べたいのが本音だ。
『肝っ玉かあさん』は蕎麦屋が舞台なので、見ると絶対お蕎麦を食べたくなる。
(本当に好きなドラマなのでまた記事にするかも)
ていねいな暮らしの真似事:花を飾る
今朝、近所のスーパーに出掛けると、6輪程度の小さな花束が250円で売られているのが目に入った。多分、規格外で通常の出荷には至らなかった花なのだろうが、その小ささがかえって可愛らしく見えた。
キッチンブーケの相場は500円くらいだと思われるが、大学生のときはその500円で夕飯を買いたいと思うタイプだったので、花屋を覗いて様々なブーケを部屋に飾る想像をしては「社会人になったら買おう」と唱え、静かに退店していた。
地元のスーパーには、東京の有名な花屋ほど華美なブーケはないが、地元の農家さんが大切に育ててきたのがわかる花束ばかりだった。その中でも一番控えめな花束を選んでカゴにいれた。
昨年末、花が欲しい気持ちが高まり1000円くらいの民芸品の花瓶を衝動買いしていた。(これは我慢できなかった)
それを帰宅後に引っ張り出し、水切りした花を飾る。
完璧~~~~~~~~~~~~~~!
ダイニングテーブルに無造作に置いただけでもなんだか雰囲気があった。
紅茶!紅茶を入れなきゃ!と半ば使命感を抱き、ティーポットを準備してとりあえず一杯。
民芸品も衝動買いするもんだな。
その花瓶の口は直径5cmくらいなのだが、これが小さなブーケを飾るのに丁度いい(私調べ)
花瓶の口元には穴がいくつか開いていて、そこに紐を通して壁にかけることもできる。これなら小さな茶室にも飾れる。千利休も喜びそう。
と、いうことで急にQOLがバク上がりしたような気がした。
在宅時間が増える昨今、テーブルクロスを変えたり、少しお花を飾ったりするだけで気分転換になるのでおすすめです。
大学時代、500円のブーケもケチらずに買うべきだったかもしれない。きっと爆速で課題が進んでいただろうナ(幻想)
大学ってなんぞや ~悩みは尽きない#3~
~前回までの振り返り~
散々悩んだ結果、もう何学部に行っても同じじゃね?と気づく
~~終わり~~
11月末、私はとうとう限界を迎える。
それは睡眠障害。
というか自律神経がぶっ壊れた。
もともと規則正しい生活をしていたわけではないが、高校3年生になってすぐ、めちゃめちゃ不眠になった。
6月末、人生初、授業中にホワイトアウト。発汗がやばかった。怖かった。
7月末、睡眠時間が2時間程度に。暑さに完敗。
夏休み、勉強は一日6時間程度しかやっていなかったので睡眠時間増加。
9月、睡眠時間4時間程度に。
11月末、全く眠れない。血が巡ってないような感覚のまま高校へ。
担任が何度か心配して面談をしてくれた。
担任「最近眠れてる?」
私「眠れてないですね」
担任「昼寝は?」
私「すいません、授業中に寝落ちることあります。」
担任「眠れないよりずっといいよ、眠れる時に眠りな」
担任は神のように優しかった。担当教科は英語だったが、正直私は英語の授業で一番居眠りしていた。当てられた時にちゃんと答えられるようにしておけば寝ていても怒られなかった。
担任は私の母親にも「精神科にでも連れていったらどうか」と連絡をいれた。
母親は「今はそんな暇ありません、合格が決まったら行かせます」と返していた。
とにかく勉強をしなければならなかった。
しなければいけないのに、それを邪魔するように涙が毎日こぼれた。
疲れてるのだから早く寝なくてはと思っても、布団に入ると不安がうごめいて、脳がギンギンに冴えてくる。
助けてくれ~ぃと神に祈る毎日だった。(なんの神?)
ある日曜日の午後、私は突然
「わたし、毘沙門天の化身かも」
と発言。意味がわからなすぎる。たまたま家族全員がこの発言を聞いていて、驚き震えていた(どれだけ大きい声でいったのだろうか)
とにかく、私はもう限界を迎えていた。
このまま高校を卒業しても、みんなと同じ様に朝起きて、大学に行くことはできそうにない。親元も離れて自力で生活できる気がしない。普通に不登校になって人生終わりそう。そんな恐怖が頭をよぎる。
そして、その恐怖はやがて頭を支配した。
大学めざすのやめよう
大学ってなんぞや ~悩みは尽きない#2~
10月は自分なりにガツガツと勉強を進め、あっという間に過ぎていった。
11月。担任との2者面談。そろそろ志望校を絞る必要がでてきた。
担任「心は揺らがない?経済学部でいいの?」
私「そのつもりです(覚悟を決めた武士の形相)」
担任「〇〇さんの興味は別にあるんじゃないの?」
私「それはそうなんですけど、理想じゃ飯は食っていけないので(?)」
担任「もったいないなって俺は思うけどね。じゃあせめてその興味だけは失わないでね。勉強は大学じゃなくてもできるし…」
このあとに続く担任の発言に感銘を受けるのだが、それはまた別の機会に書きます。
帰宅後、母にこの面談の内容を報告。
母「私も別にあなたの行きたい学部に行ったら良いって思うよ。ただ、それが経済学部に行くよりも良い選択であるのなら、ね。」
私「 」
そんな証明むず!論破できねえ。気分屋の私が大学にいっても史学を学び続けているはずがない。飽きたとか、やっぱり違ったとか、そんなことを口にしそう。人生詰んでも「やっぱりね、私はそうだと思ったよ」と影で家族から笑われるんだ!(涙)
と、思った私は、堅実な道を行くことにした。親の言うとおりの進路に進んでおけば、最悪うまく行かなくても人のせいにできてしまうのだ。(こんなの言うまでもなく最低の考えではあるが、もはや自分の人生を他人事のように考えていた)
11月半ば、ふと勉強の手を止めて思う。
勉強を頑張っても、その先に待っているのは経済学部に進む未来。
楽しそうじゃない。興味もわかない。でも大変そう。私は落ちこぼれるのだろう。
全然理解できない勉強を4年間続けるのだろうか。それは地獄なのではないか。
経済学部の卒業後進路実績を見ると、「公務員、銀行、保険会社」ばかり。
全然憧れない。もちろん違う道もあるだろう。
でも「〇〇大〇〇学部出てこの就職先って…落ちこぼれね…」そう、思われるのだろうか。
自分の意思が定まらないからこそ、人からどう思われるかが気になる。
自分の人生なのだから、他人の意見なんてどうでもいいとわかっている、のに。
わかっているのに、気になる。
何が自分にとって最善の道なんだろう?
ここで選択ミスをしたら、一生を棒に振ってしまうのではないかという恐怖があった。
私には得意教科がなかった。どれも満遍なく似たような点をとるタイプ。
日本史は学んでいて楽しかった。だから文系を選択した。ただ、何時代が好き?とか歴史上の人物で誰が好き?と聞かれても答えは見つからない。深く興味を持っているとは言い難かった。
どの教科もそれなりに面白みを感じるし、どの教科もそれなりに勉強が大変。
特別これを学びたい!ということもないし、そもそも大学にも憧れない。
じゃあもう何学部行っても同じじゃない?
とんでもない結論にたどり着いた(一種の思考停止)
大学ってなんぞや ~悩みは尽きない~
~前回までの振り返り~
夏休みを利用してオーキャンに赴く。いろいろ考えた結果、私立の経済系学部を目指すことに決定。
~~終わり~~
目標が決まると勉強へのモチベも上がる。
10月になると、知り合い(2つ前の記事に登場する人)の勧めで赤本に手を付ける。
大学受験を経験したことがある人は思うだろう、この時期に初めて赤本を開くというのはだいぶ遅いのだ。
そして私は現実を知る。
英語まっったくわかんね~~~~~~~
英語が全くわからなかった(2回目)
知り合いに報告すると、「この時期はまだそんなもんでも大丈夫。諦めず頑張れ」という励まし。私自身も赤本をやったという事実に酔い、「これがわかるように頑張ろう」というポジティブシンキング。
そして、こころの隅っこでうごめく「これ、わたし大学行けないんじゃない?」という不安。
日本史は問題解くのも楽しい~~~~~
日本史の問題は大学ごとに毛色が違う。その上、学部に関係した分野がまとめて出される(経済学部の問題なら経済分野の歴史が出題されがち)ので、高校の教科書とは違う視点で歴史を学べた。
これまで得た知識を総動員すれば解ける。それが楽しかった。たとえ間違えても、その時点で新しい知識を得られる。とにかく楽しくて楽しくて仕方なかった。
やっぱり大学で日本史学びたい!!という願望がまた復活する。
大学ってなんぞや ~オーキャン珍道中#3~
~前回までの振り返り~
史学科を志し、オーキャンに赴くが、未だ志望校は見つからない。
~~終わり~~
史学科がある学校を調べてわかったのは、(日本史に関して)関西の学校は中世に強く、関東の学校は近代に強い。自分がどの時代を中心に研究したいのかを明確にする必要があった。とはいえ、京都は暑い。近代はさほど興味ないし…
史学科目指すのやめるか。
簡単に諦めるほどの覚悟だったのかと問われたら、そうだとしか言いようがない。
史学科は就職に弱く、それでいて研究職も難しいという、将来の見えにくい学問であると親や先生からの進言もあった。決意は簡単に揺らいだ。
親「やりたいことがない人間ほど、つぶしのきく学部に言ったほうがいい」
担任「興味のないことは続かない。無理していった学部ではやめてしまう」
いろいろな意見に悩まされる日々。
友達に誘われて、今度は地方の国公立大のオーキャンにでかけた。
電車ではるばる3時間ちょっと。遠くの大学にまで足を運ぶ友達の真面目さに、同じ受験生でありながら感心していた。友達とガイダンスを聞き、いくつか授業を覗いた。
私はお昼に食べたご当地グルメが美味しかったなあとぼんやり考えていたが、周りの学生はとても真面目そうで、質問もたくさんしていた。これまで見たどの大学のオーキャンより前のめりな生徒が多かった。
「私はもう十分だから、次はそっちの見たいところいこう」と友達が言ってくれたので、経済系の学部のゼミを覗くことにした。このときの私には、ゼミがなにかもわかっていなかったのだ。
教授と6人ぐらいの学生が狭い教室に集まっていた。確か皆大学3年生で、その日は卒論のテーマ発表だった。空気は妙にピリついていた。ある男子学生はたしか、「明治時代に経済政策を行った偉人」について卒論を書くと言っていた。ゼミの先生は「それが、何の役に立つんだ?」と問い詰めた。「調べるだけなら君の自己満、趣味だろう。社会の何の役に立つのかと聞いているんだ」と厳しい口調で続けた。結局男子学生は口を噤み、微妙な空気のまま授業は終わった。
怖っっっっっっっっっ
私は恐れおののいた。今では、その先生の質問が「研究の動機」を聞こうとするものだとわかるが、当時の自分としては、「私も経済系の学部にいったら、卒論はなんとか自分の好きな歴史に絡めて書きたい」と思っていたため、自分の興味だけで書いたらただの自己満で終わってしまうのか、社会の役に立たないとダメなのか、と現実を突きつけられたようで、なんだか絶望してしまった。
それと同時に、「社会のためになる」学問をするというのは、国公立ならではの考え方なのかなと結論づけた。よって、自分の中で国公立大の経済系学部という選択肢は消えた。
また別の日。高校に地元の国公立大の教授らが来て、特別授業を行う日があった。そこで私は法や経済系の授業を選択したが、経済系学部の教授は元官僚や元銀行員といった経歴を持つ人が多いようで、それを自慢気に話していた。その方々の意識は「学問」や「研究」とは違う、もっと実務的な観点にあり、なんだか大学というより「社会人育成学校」の宣伝をしているように感じられたので、より自由に学べるのは私立大学なのかなと思った。(この認識は間違っているのかもしれない)
そうした経緯で私は、通っていた高校では珍しく、私大のみを志願することを決意した。とはいえまだ志望校や志望学部は決まらなかった。
【続く】