海にかえる道

考えるだけ無駄なこと、とことん考えてみる。日々の覚書。

パンの記憶 #1

引越し準備、進んでおりません。朝夕ホットサンドを作って食べる毎日です。

 

 

昨年9月、旅先で迷子になり、空腹でさまよい歩いた末にたどり着いたカフェで食べたエビとアボカドのホットサンドが美味しくてたまらなかった。

・旅行中

・空腹

という条件が揃ったらなんでも美味しく感じるのが世の常だ。ホットサンドのカリカリサクサク食感に魅せられた私は東京に戻ってきてから鬼のようにホットサンド屋を探した。しかし、現在ホットサンドを売りにしたカフェはそれほど多くなかった。

家庭用ホットサンドメーカーも数多く発売されており、わざわざカフェで食べる人も少なくなっているのだろうか。そうなると自分もホットサンドメーカー(以下、HSM)を買うしか無いと思い至ったのだ。

 

相場は1000~5000円。直火で焼くタイプか、挟んでボタンポチッするだけの電気タイプか。ケチでこだわりの強い私は調べに調べた。HSMを保有する友人にも使用感を聞いてみたり、実際に店舗で重さを確認したり。(電気タイプは重いものが多く、機械自体の厚みもあるので仕舞う場所を考える必要がある)

 

洗いやすさ、焼きやすさ、片付けやすさといった実用性を考えた結果、ガスとIHどちらでも使えるタイプにした。電気タイプと違い、ひっくり返しながら焼く手間があるが、焼き具合を確認しながらくるくるする作業は、ホットサンドを愛おしく育てる(?)時間として最高だ。ホットサンドと向き合うことができる。

 

と、いうことでポテトサラダサンド、りんごサンド、ハンバーグサンド、ハムチーズサンド、様々なホットサンドを試している最中である。(9月にホットサンドの美味しさに気づき、ようやくHSM購入に踏み切ったのは1月。決断にどれだけ時間がかかっているのだと我ながら思う)

 

 

思い返すと、そもそも幼い頃はあまりパンが好きではなかった。外国人が米を食べて「味がしない」というのと同じ様に私は食パンを食べても「無」の感情しか抱かなかった。かといってライ麦パンや、食パンの中でも小麦の味が強いものは苦手だと感じていたので、なるべく無味のパンを選び、無味だなあと思いながら食べていたのだ。パン屋オリジナルの著作権ギリギリアンパ○マンパンやチョココロネなどは形状の可愛らしさから興味を唆るものの、食べてみるとさほど美味しくもない、子どもながらに「子ども騙しのパンだな。ま、可愛いから食べるけど」と生意気に考えていたのだ。アンパ○マンパンの中身はあんこかクリーム。そのどちらも私は苦手だったので、それもあってパン=好きではないものと分類されていた。昨年のM-1優勝者のネタではないが、私にとって、コーンフレーク以上にパンはまだ目覚めきっていない中でサクッと朝食を済ませたいときに食べる煩悩の塊として捉えていたのだ。

 

小学校に入ると給食ででてくるのはコッペパン。その美味しさもわからなかった。学年が上がるごとに大きくなるコッペパンは少食の私にとって一番の強敵であった。「これくらい食べてくれない?」「それはちょっと多いわ」「これは?」「まあ、それくらいなら・・・」毎週火曜、パンの日はよく食べる男子とのミリ単位のコッペパン譲渡交渉に尽力した。おかずがハンバーグの日はパンがよく売れた(?)し、「このおかずで大量にパンを消費できるのは〇〇くんだな・・・」とクラスメイトのおかずの好みまで把握していた。こうしたパンの取引に辟易した私は、給食以外でパンを食べることはなくなった。

 

パンに対する苦手意識が強まるなか、中学に入学した私はコンビニで売ってるジャムパンや焼きそばパンなら味が濃くて飽きずに食べられることに気がついた。休日の部活にはお弁当を持参する必要があったが、私はコンビニのパンを持っていくことにしていた。そう長くない部活の昼休みに、心と身体が疲れていてもサクッと食べられて、友達とおしゃべりもできる。やはり私はさくっと食事を済ませるためのアイテムとしてパンを捉えていた。ちなみに中学の給食のコッペパンはもはや自分の靴より大きく、見るだけで恐怖を覚えるほどだった。

 

そんなある日、私の中で革命が起こった。それについては次の記事で書くことにする。