海にかえる道

考えるだけ無駄なこと、とことん考えてみる。日々の覚書。

パンの記憶 #2 :パン本との出会い

前回の記事に書いたように相変わらずパンに良いイメージがなかった私は、ある時、1冊の本と出会った。

 

 

うさぎパン (幻冬舎文庫)

うさぎパン (幻冬舎文庫)

 

 

瀧羽麻子さんの『うさぎパン』である。高校生の優子とパン屋の息子富田くんがパン屋めぐりをするのだが、その描写が素晴らしく、パンの温かさ、香り、食感、すべてがリアルに想像できる。パンが人の心を動かすことなんてあるんだあと他人事のように読み進め、本を閉じた瞬間に思ったのだ。

 

 

パン食べたい!!!!!!!

 

十数年生きていて初めての感情だった。

 

その数日後、母親とイタリアンレストランでランチを食べることになった。そのお店では直径5cmほどの小さなまるいパンが食べ放題だった。店員さんを呼ぶと、パンが綺麗に並べられた木のカゴを持ってくる。よもぎパン、くるみパン、セサミパン、白パン、かぼちゃパン・・・

 

これまでの自分ならたとえ食べ放題であってもパンに手を伸ばすことはなかっただろう。でもあの本を読んだ私には、カゴに並んだパンが輝いて見えた。どうしよう、全種類食べたい・・・まるで何かに洗脳されたように、私はそう思ったのだ。

 

どのパンもほんのり温かく、しっとりとして素朴な自然の味がした。私がこれまで食べていた味の濃い焼きそばパンや、バターたっぷりのクロワッサンとも違う、優しい優しい味だった。何度かおかわりをしてパンを頬張る私を、母は驚いた顔をして見ていた。

ちょうどその頃、私は中学の部活をやめて生活が大きく変わったときだった。綺麗な青空と窓から射し込む真っ直ぐな光。天気の良い日に食べる素朴なパン。心が軽くなった気がした。

 

 

本に話を戻すと、『うさぎパン』はパンを食べるだけの話ではない。一筋縄とはいかない「家族」の話。少しファンタジーチックな部分もある。主人公の優子の家庭教師として登場する大学生「美和ちゃん」は、当時中学生の私にとっては不思議な存在に見えた。だけど、かっこよくて、憧れた。具体的にどういう風に憧れたのかは忘れてしまったが、こんな女性になりたいと思ったような気がする。本1冊でも食の好みから人生の指針まで変わるのだからおもしろい(チョロくもある)

 

そういった理由でこの本は私の中で思い出の1冊となった。それから月日は流れ、大学2年生の春、私は突然ご飯が食べられなくなった(このことについてはまた後日記事にしたい)食パンも喉を通らなかった。

 

あのとき心に光をもたらしてくれたあの本を読んだら、また食事ができるようになるのではないかと、再び『うさぎパン』を読んだ。パンの描写は相変わらず素敵だった。しかし、私の読者としての視点はもはや主人公優子ではなく、大学生美和に近かった。不思議な感覚だった。中学生の自分にとっては不思議な存在であった美和ちゃんは、大学生になった自分にとってはなんてことない人物に見えた。同じ文章なのに受け取る内容が変化するという現象、あまり同じ本を読み返すことが無い私には新鮮な体験であった。

 

結局、その本を読んでも食欲を取り戻すことはできなかったのだが、パンが題材になった小説を読むとワクワクするのは確かだった。

 

 

([み]2-1)しあわせのパン (ポプラ文庫)

([み]2-1)しあわせのパン (ポプラ文庫)

 

 

この本はカフェで頼んだフルーツティーでお腹を冷やしながら夢中で読んだ。映画版も見てみようと思いながら今まで忘れていた。今度見ることにする。

 

 

真夜中のパン屋さん 午前0時のレシピ (ポプラ文庫)

真夜中のパン屋さん 午前0時のレシピ (ポプラ文庫)

 

 

これは中学生の時にハマった本だ。真夜中だけオープンするパン屋なんてその設定だけでワクワクしてしまう。パンの種類が様々あるように、人間の人生も様々なのだなと感じた記憶がある。ぼんやりではあるが今でもいくつかのエピソードを覚えている。人の心をつなぎ、癒やす、その媒介がパンだなんて不思議だ。だが、その力は確かにある。シリーズすべてを読んだかは定かではないが、友達にも貸すほどハマった。ドラマは1話で視聴をやめてしまったが・・・笑。

 

 

それからもう1冊。大学生になってから読んだパン本があったがタイトルを忘れてしまった。下北沢あたりが登場する・・・ことしか思い出せない。その本を読んでから、東京に来たからにはパン屋巡りをいろいろしてみようと思うようになった。が、さほどやらなかった。思うばかりの人生である。たまにパスタ屋のランチで付け合わせとして小さなパンが出てくるとちょっとテンションがあがる。それから、ハード系のパンが好きになった。危うく口内を傷つけてしまいそうなパンが好きだ。ほんの少しバターをつけるのがいい。昔はバターたっぷりのパンが美味しく感じたが、今は罪悪感が勝つ。これが大人になるということなのか・・・。

 

 

パンが題材の小説に共通しているのは、パンは優しく温かく描かれる一方で人間関係はひどくこじれて冷たくなっている点。美味しそうなパンの描写を読みたいのか、こじれた人間が解消されることに快感を覚えるのか。後者が重要なのかもしれない。パンが題材になっているもの以外にもそういった小説を自分は好んで読んでいるような気がする。いくつか思い出したのでまた紹介したいと思う。

 

 

 

飲もうと思っていれたピーチティーがすっかり冷めてしまったので、本日はここらで失礼いたします。