海にかえる道

考えるだけ無駄なこと、とことん考えてみる。日々の覚書。

映画『クロワッサンで朝食を』の感想

自分のパンにまつわる思い出はまだまだあるが、最近見た映画の感想を忘れぬうちに記しておきたかったのでそれを先に書くことにする。

 

その映画とは2013年公開の『クロワッサンで朝食を』である。

紹介のために予告編の動画を貼るが、数秒見て興味をもった人はそこで視聴をやめていただきたい。最後まで見てしまうとかなり内容がわかってしまう。事前に情報をいれずに見たほうが楽しめる映画だと思う(映画の楽しみ方はひとそれぞれではあるが・・・)

 


映画『クロワッサンで朝食を』予告編

 

★以下、思い切りネタバレあり★

タイトルから『ティファニーで朝食を』的な話なのかと思ってしまうが全く違った。この映画の原題は『パリのエストニア人』である。(当たり前ではあるが)原題のほうが正確に内容を表している。離婚を経験し、子育てを終え、母を看取って一人になったエストニア人女性のアンヌはパリで家政婦として新しい人生を始める。しかし、その雇われ先はお金持ちで気難しいフリーダという老婦人のお宅。

「朝食はクロワッサンじゃなきゃ食べない」「ちゃんとパン屋で買ったクロワッサンじゃなきゃダメ」(雰囲気)といった具合に朝食ひとつとっても注文が多い。最初に言ってくれよ!と思ってしまうが、人間やはり長く生きていると自分ルールが増えるものだ。アンヌは何度もキレそうになりながらもフリーダの生活を支えるために尽力する。少しずつ心を開いてゆくフリーダから孤独に生きる訳を聞くと・・・と、まあそういった具合でとにかく気難しい老婆とそこそこ年のいった女性が一緒に生活する日々のあれこれといった話である。

 

監督の母の実話をもとに作られているからか、すごく「リアル」な映画だ。

人は一人では生きられないけれど、他人が邪魔になることもある。

愛しく思っているはずの人の死を待ってしまうこともある。

どうしようもない孤独、寂しさ、怒りを人にぶつけてしまうこともある。

そしてそれを受け止める側もどうしようもなくて打ちひしがれてしまうこともある。

孤独にもなりたいし、誰かに抱きしめて受け止めてほしい夜もある。

 

そんな映画だった。

 

私は呼吸が見える映画が好きだ。この映画はまさにそうだった。特に前半はセリフが極端に少ない。一人になった部屋でひとり座っているアンヌの呼吸、あるいは広い部屋の広いベッドに横になるフリーダの呼吸が「見える」のだ。静かな部屋で一人佇む人間の上下する胸、寒い屋外で手に息を吹きかける、鼻をすすりながら歩く、口論後に収まらず荒くなった息を吐く、言いかけて言えなくて言葉を飲み込み息が漏れる、そんな息遣いが感じられるシーンが多い。

 

一人きりのベッドでフリーダはなにを考えているのだろう?

フリーダに拒否された食事を捨て、悔しさで顔を歪め、息を吐くアンヌの心情は?

もう手に入らないとわかっている男の胸に顔を寄せて何を思うのだろう?

 

人生経験が豊富な人ほど様々な感情が思い浮かぶだろう。多くを語らない映画だからこそ視聴者各々の人生を重ねる隙間がある。

 

それから歩くシーンも印象的だ。冒頭もアンヌが雪道を歩くシーンから始まる。エストニアの習慣で屋内ではスリッパのようなものに履き替えるようだが、その靴の着脱のシーンも多い。スリッパを履き直して電話をとったり、パリに着くなり歩幅の合わない人間に家まで案内されるシーンはその足取りからも不安感が読み取れる。フリーダのお世話の合間にアンヌはパリを散歩するが、その足取りも初めは浮足立っている。段々とパリに馴染んでゆくと、靴はヒールへと変わる。フリーダと口論になり、パリを去ろうと決意すると大勢の人間を避けながら足早に街を進む・・・といったように歩くシーンだけでもアンヌの心情の移ろいがわかる。

 

フリーダに冷たく当たられ、ストレスが溜まるとアンヌは散歩にでかけ、エッフェル塔凱旋門セーヌ川、おしゃれな服屋さん、コスメショップといったパリの名所に向かう。静かに歩き、静かに眺め、少し笑って、足取り軽く帰る。自分の感情のコントロールがうまいなと思う。生まれ育った土地を離れて進学、就職した人は同じような経験があるのではないだろうか。憧れていた街での慣れない生活と心を癒やすエスケープ。私も東京の名所を一人で確認するかのように訪れた経験がある。

 

それからアンヌの服装が変わっていくのも見どころだ。人は苦労しながらも街に馴染んでゆく。一方でパリジェンヌはフリーダは全身シャネル(すべてジャンヌ・モローの私物なんだとか)めちゃくちゃかっこいい。佇まいからなにから貫禄と迫力がすごい。そして地位も名誉もお金もあるのにどこか可哀想な人。ティーカップはウエッジウッド、カーテンはイヴ・サンローラン。部屋は世界中の装飾品で飾られている。仏像や能面もあった。広い世界を知っているのだろうけど、家から出ることのなくなったフリーダにはこの部屋がすべてだ。部屋が広いだけに孤独感が際立つ。愛する人だけが彼女には足りない。

 

フリーダとアンヌが一緒にカフェに行くシーンがある。「近所だけど、少しおしゃれをしましょう」と、二人でいたずらっ子のように笑う。アンヌはベッドに服を並べて悩み、普段はつけないリップを塗る。アンヌのおしゃれ着を見たフリーダは自分のハンガーラックからトレンチコートを出し、「若いほうが似合うわ。あげる」とアンヌの頬を撫ぜる。二人は腕を組み、足取り軽くカフェへ。

オシャレって魔法だなあと思う。普段はうつむいて、悩んで髪をかきあげるばかりでも、少し髪をあげてまとめたら思考までスッキリしたように感じ、普段と違うリップを塗ったらいつもより綺麗に口角が上がるような気もする。少し気恥ずかしいような小洒落たスカートで風を感じたら思わず手を取り合って笑ってしまう。女性なら一度は経験があるのではないだろうか。そうした日常の延長にある、少しの幸せの表現もすごくリアルだった。

 

 

決して明るい映画ではない。ネットでレビューを見ると画面が暗い!と言っている人が多かった。話だけでなく画面が暗い。でも、それがパリっぽい(?)し、人生なんてそんなもの。天気の悪い日、電気を消すシーン、夜の暗い部屋。すべて意図的にそう撮られているはずだ。カーテンを開け、窓を開け、日差しがきちんと射し込むシーンも中盤にある。暗さが孤独に寄り添うこともあれば、日光に救いを求める日もある。思うように行かないことばかりだけれども、沈み込みすぎることもない、という人生の温度感がリアルな映画であった。明日の朝食はもちろん Un bon thé, un bon croissant.