海にかえる道

考えるだけ無駄なこと、とことん考えてみる。日々の覚書。

川に臨むカフェにて

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世の中はおしゃれカフェに溢れている。趣味を聞かれた時にカフェ巡りと答えるほど熱心に探しているわけではないが、どこかに出掛けるなら「せっかくだしおしゃれカフェいきたい」と思うほどにはおしゃれカフェへの憧れがある。

 

そんな私の(数少ない)カフェ巡り遍歴において忘れられないお店が、伊勢内宮近くの「五十鈴川カフェ」である。

五十鈴川カフェ
〒516-8558 三重県伊勢市宇治中之切町12
800円(平均)800円(ランチ平均)

 

店名の通り、五十鈴川のすぐ向かいにあるお店。

私は冒頭に載せた写真の通り、チーズケーキとほっとゆずティー(だったかな)を注文した。珈琲が売りのカフェなので紅茶はなく、温かいものを飲みたかった私はゆずティー一択だった。チーズケーキとの組み合わせに疑問を抱く人もいるかもしれないが、私はあまり気にしないどころか気に入った。ほんのり甘く、さわやかなゆずとチーズケーキの相性は最高だった。

 

なによりこのお店は景色がよかった。川を見ながらお茶をするのは人生で初めてだったかもしれない。窓から右を見ても左に見ても川。川幅が広く、流れは穏やか(に見えた) ずっと見ていられる。雄大な自然は心を穏やかにしてくれる。

 

時間帯のせいかお客さんもほとんどおらず、自分の家にいるような安心感と、一方で珍しい景色に高揚感を抱くような、不思議な居心地だった。

 

伊勢に行くのはなかなか時間がかかるため、もう行くこともなさそうだが、このカフェはケーキの種類も多いため、近くにあれば何度も何度も通っていただろう。

もしこれから伊勢に行く予定がある方はぜひ訪れてほしい。暑い日でも、寒い日でも快適に過ごすことができるだろう。

 

昨年10月の台風では五十鈴川の水位の上昇も激しく、その普段とはかけ離れた様子に驚いた。幸い被害はなかったようだ。普段は綺麗に見える自然が、恐ろしくなることもある。文明の進んだ現代社会でも、我々人間は自然と共に生きているのだと感じさせられる。

 

アクセスのよい都会のカフェも良いが、こうした自然の中にあるカフェも良い。

お皿に青空が映るなんてそうそうない。写真を見るたびに、このカフェ良かったなあとしみじみ感じるので、こうして記事にしてみた。

あと少しが我慢できない

実家に戻ってから数日間、忙しい家族に代わって私が食事を作っていた。一人暮らしのうちに習得した料理スキル(というより単純に手際)を褒められた。気分がいい。

 

昨日の夕飯は親が仕事帰りにお寿司を買ってくるとのことだったので、私にやることは無かった。とにかく寿司をベストな状態で食べたかった私は、昼ごはんに炭水化物をほとんどとらず、生野菜をたくさん食べておいた。お腹をできる限り減らしておきたかったのだ。

 

 

しかし結局の親の仕事が長引き、連絡もないまま19時を迎えようとしていた。

 

これは遅くなるなあと、夕飯用のサラダを作り終えた頃に思った。

 

空腹メーターは悲鳴を上げていた。はやく、はやく寿司を食べたい!!!

頭の中はそれでいっぱいだった。箸を並べ、お茶の用意をする。

 

一人暮らし時代はなぜか、毎日16~17時に夕飯を済ませてしまっていたため、自分にとって19時過ぎはもう空腹の極みであった

 

冷蔵庫を開けると、セブンイレブンで売られている、小さなカップに入ったみたらし団子が目に入った。

 

…ひとつくらい食べてもいいだろう。みたらしあんはキラキラと輝いている。

 

 

結局食べた。

 

ひとつ食べた。

 

その瞬間を見計らったかのように親は帰宅した。

 

 

私は速攻でみたらし団子のカップを冷蔵庫に戻した。

 

 

あと数分、いや、あと数十秒待っていられたらよかったのに!!

なぜ我慢ができなかったの?!恐ろしい食欲の女ね!!!!

 

と、自らの食欲に呆れるばかりであった。

DEMEL 愛してる

タイトルでくだらない韻を踏んでしまうほどDEMELのチョコが好きだ。

 

2月も終わるというのにバレンタインの話題を持ち出すのはナンセンスと思われるかもしれないが、DEMEL愛が止まらないのでご容赦ください。

 

私にとってバレンタインはDEMELのチョコを食べる日である。正直に言うと、私にとってはクリスマスだってDEMELのクリスマスセレクションを食べるためのイベントであるし、そもそもイベントなんか無くとも、日常のご褒美はいつだってDEMELなのである。新宿伊勢丹にあるDEMELの店舗までは目をつぶっていたとしてもたどり着けるだろう。

 

DEMELと出会ってまだ数年なのだが、私はもうDEMEL以外のチョコを食べられなくなってしまった。というのはいささか言い過ぎというものであるが、それくらいDEMELのチョコがお気に入りなのだ。

 

大学生になってから、バレンタインは完全に「自分へのご褒美チョコを買う」イベントとなっている。これは世間的にも同じ流れであるだろう。

 

人にチョコを贈るって難しくない?

 

もう、これに尽きる。プレゼントするにはチョコレートはバリエーションが多すぎて、また人の好みも様々である。千差万別のチョコレートから相手の好みを見つけ出すのはなかなかに難しい。中には「チョコレートなんてなんでもおんなじさ」と言う人もいるだろうが、そうでないこだわり派に好みでないチョコを渡したところで横流しされるだけなのである。

 

ありがたいことに女子はバレンタインにチョコをもらうことが多い。が、私はDEMELと出会ってから毎年「チョコはいりません!」という大失礼な宣言をしている。本当にそれくらい、DEMELにゾッコンなのである。

 

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 今年のバレンタインに買ったショコラセレクション

 

完全なるパケ買いだが、DEMELに外れはないので正直どれを買っても正解だ(?)

 

内容はキャラメルショコラーデ、クリスピーナッツプラリネ、ハートチョコレート

 

はい、最高の詰め合わせ。

 

キャラメルショコラーデは通常パッケージがめっちゃくちゃ可愛いので何度も買っているが、このショコラセレクションにはアプリコット以外の3種が入っている。キャラメルとサブレ生地が入っているので1粒で大満足してしまう食べごたえがある。

 

クリスピーナッツプラリネは簡単に言ってしまうとアーモンドチョコ。しかし、そんじょそこらのものとは違う。思わず食べた瞬間に目を瞑って頷いてしまう。そうそう、これが幸せの絶頂です、みたいな。

 

ハートチョコレートは正直説明を読んでもよくわからなかったのだが、一口食べてびっくりした。大好きなヤツゥ~~~~(主観of主観)

ヒンビアーが木苺、カベルネがぶどうのソースなんだって。はい、好き。好き~~

 

私の好み反映して作りました?って言いたくなるくらいどれもどストライクで100粒食べたい勢いだったが、この7粒で大満足。

 

ということでこのショコラセレクションはDEMEL初心者にも、私のような信者にも嬉しいバラエティパックであることは間違いないが、自分的に、この時期一番オススメしたいDEMELチョコは、一番シンプルなソリッドチョコ(有名な猫ラベルもこれです)

それを生のいちごと一緒に食べる!!!一番手っ取り早いストレス解消ブッ飛び方法である。

 

 

(この記事だけでいったい何回DEMELと言っただろうか)

まもなく春

 

引越しのための荷造りをしている最中、なにか元気が出る曲はないかと探した結果、美空ひばりさんの「お祭りマンボ」で一番アガることが判明。これに限る。ワッショイワッショイいいながら準備すると大変はかどります。これから引っ越す方も多いと思いますので、ぜひどうぞ。

 

さて、突然話は変わるが、私のブログの文量多すぎじゃない?という不安に駆られたので、実験的に短めの記事を書いてみることにする。それから、写真をアップする機能を使ったことがなかったので、それも実験的に使ってみる。

 

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 榮太樓さんの桜餅と草餅

(これ食べたさに1食、炭水化物を抜いた👏)

関東と関西で桜餅の形状が違うというが、自分的に馴染みがあるのはこの道明寺桜餅。

 

この時期さくらのケーキや焼き菓子がよく売られているが、桜餅を超える「美味しいさくら(の葉)お菓子」は未だにない気がする。

 

私が小学生になったばかりの頃、どこかで桜茶を飲んで、マイブームとなった記憶がある。塩漬けにされた桜が浮かぶお茶。なによりその見た目が好きだった。それから2年ほど経ってようやく「普通のお茶のほうが美味しいな」と認めたのだが、そういえば22歳になった今でも「エディブルフラワー」に弱い。そんなに美味しいものではないと頭では理解していても、ついつい憧れてしまう。

 

今日はそれだけのブログでした。

映画『西の魔女が死んだ』の感想:言葉の呪いと魔法

大学入学してすぐ、ある授業で「母親の言葉が呪いとなって娘の姿(認知)を変えてしまう物語が世の中には多く存在する」という話を聞いて驚いた記憶がある。『シンデレラ』、『ハウルの動く城』、萩尾望都の『イグアナの娘』なんかが例として挙げられていた。恐ろしい話である。が、決して珍しい話ではない。良くも悪くも親の言葉は子どもに影響を与える。それは時として子どもの糧になり、時として枷になる。

 

梨木香歩原作『西の魔女が死んだにも同じことが言えるだろう。

 

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

  • 作者:梨木 香歩
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/08/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

児童文学の名作で、今更あらすじを書く必要もないだろうが・・・

中学生の「まい」は、ある日不登校になった。仕事で忙しい母は、まいにその理由を聞かなかったが、「西の魔女」である自分の母(まいのおばあちゃん)にまいを預けることにする。おばあちゃんは自然の中で暮らすイギリス人。まいは、おばあちゃんのもとで「魔女修行」に励むが、その修行内容は「早寝早起き朝ごはん」それから「自分で決めること」だけ。修行を経験したまいの考え方は次第に変化し・・・というような話。

 

私は中学生の時にこの本を読んだ。私にもまいと同じ様に、学校に行くのが嫌な時期があり、友達付き合いに悩み、一匹狼として生きようかと思うこともあった。たしか私はこの本を読んでとても泣いた。どの部分がそうだったかは忘れたが、肩の荷が下りるような、ふうっと息をつけるような、そんな安心感が得られた気がする。それから、おばあちゃんの家の庭の描写が素晴らしかったことも印象に残っている。

 

それから10年経った今、ようやく映画版を見たのだが、やはり大泣きした。今はまいの気持ちも、親の気持ちも、おばあちゃんの気持ちもわかる。どの目線で見ても泣ける。

 


映画「西の魔女が死んだ」 予告編

 

そして冒頭の「言葉の呪いと魔法」に話を戻すが、『西の魔女が死んだ』では、学校にいけなくなったまいのことを、母親が電話で父親に伝える。「まいは扱いにくい子だから」と。その声を漏れ聞いたまいは、何度か自分でも「扱いにくい子・・・」と繰り返す。呪いである。一方で、西の魔女であるおばあちゃんは何度もまいを褒める。認める。まいは素晴らしい子であると。

 

もうこのシーンだけでおかわり3杯、いやお涙3Lといったところだ。私自身、母親に「あなたは世界で一番理解できない存在」「わかろうとすることもやめることにした」「あなたが生まれてきたことで、世の中に自分とはわかりあえない人がいるのだと知ることができた」と言われて育った。それはある意味ネガティブであるが、ある意味でポジティブ。理解も共感もしてもらえないが、自由に思考することを許され、親のコピーではなく一人の人間として尊重されることも意味する。

 

感情が揺れ動く思春期は、自分の意志で動きたい気持ちと、親や周りの大人からの助言が欲しい気持ち、どちらも存在する時期である。とにかく難しいのだ。そして実は、大人が思うよりずっといろいろなことを子どもたちは考え、悩み、苦しんでいる。大人からすると大したことのない感情も、子どもの世界にとってはとてつもないもの。「そんなことで悩んでないで」と言い捨ててしまわぬように気をつけなければならない。

 

それから、魔女修行の内容について。小説を読んだ当時はなんとも思わなかった

「早寝早起き朝ごはん」「自分で決める」

…いや、めちゃくちゃ難しいやんけ!今の私にはとてもとてもできません。魔女修行には忍耐がいるのだそうだ。でも、ちょっと鬱っぽい悩める現代人は、みなこれを意識するべきかもしれない。

 

映画では何度か食事のシーンがでてくる。自然の恵みたっぷりの、いかにも身体に良さそうなお料理。おされな葉っぱが乗ったお茶(ハーブティー)も美味しそう。おばあちゃんがこんな美味しい朝ごはんを用意してくれるんだったら早起きしますとも!!(今日は正午過ぎに起きた人間の発言)

 

それからおばあちゃんが夜中にクッキーを焼いてくれるシーンがある。何かいけないことをするように、くすくすと笑いながらおばあちゃんはクッキーに手を伸ばす。あのシーンは憧れてしまう。中学生には悩んで眠れない日が多くあると思う。私には眠れず泣き明かす日が何度もあった。その度「早く寝なさい」と怒られるばかりだったけれど。

 

 

まいがおばあちゃんに「人は死んだらどうなるの?」と尋ねるシーンがある。

おばあちゃん「魂が身体から脱出して自由になるのよ」

まい「じゃあ肉体は邪魔じゃない?初めから肉体がなければ自由じゃん」

おばあちゃん「でも、肉体がなければいろんな場所にいったり、いろんな体験ができませんよ」

このあたりは正確なセリフではないが、たしかそういった会話をする。めちゃくちゃ哲学。おばあちゃんは「まあ死んだことないのでわからないけれど」と前置きをするのだが、映画ではこのシーンが一番泣けた。肉体があるからこそ苦しいこともあるが、肉体がなければできない体験、抱けない感情があるのだ。人間って素晴らしい(?)

 

 

母親いわく、私は小さい頃からよく「死」について考える子だったらしい。誰かの死を経験したとかそんなことも無かったのだが、5歳くらいから「死んだらどうなるんだろう」「自分はいつ死ぬんだろう」と毎晩考えていたそうだ。親はそれに対して「いいから寝なさい」と答えていたらしい。まあ、これも正解だろう。明確な答えは得られなかったが、だからこそ自由に考えることができる。大学の授業でも「死」について考える機会が多かった。大学生になった私は「えっ、大人が死について真面目に考えていいの??」と驚いた。いつのまにか「死」について考えることは(よくわからないから)無駄なことだと思いこんでいた。

 

肉体が魂の器であることは、理解できないこともない。しかし死後、自分の魂が自由になったとしたら、それをコントロールできる気がしないので怖い。さまよい続けたくない。肉体が失われたら魂も消失してほしい。今はそんな考えである。

 

さて、映画に話を戻す。おばあちゃんのもとで魔女修行をつんだまいは、今度は転校することを決意する。父親の単身赴任先?に引越して3人で暮らすのだという。父親はたいそう喜ぶのだが、それで良いのか?と思わざるを得ない。父親のなんとも言えない頼りない感じが妙にリアルだ。母親は仕事を辞めるのだという。で、まいはおばあちゃんの家を出るのだが、その前にまいとおばあちゃんは喧嘩しているため、なんとも気まずい状態で別れてしまう。「おばあちゃん大好きだよ」「ずっとまいがここにいてくれたらいいのに」そんな言葉は口に出せなかった。

 

そして2年後、おばあちゃんが亡くなったという知らせを受けて、まいと母親は車を走らせる。まいは新しい学校の制服に身を包んでいるが、その表情は「無」そのもの。おばあちゃんの家で暮らしていたときの、表情豊かなまいとは別人のようだ。学校に馴染むことは、自分の感情を押し殺すことでもあるような気がする。そのほうが「楽」なのだろう。

まいはおばあちゃんの家を出てから、一度も遊びに行くことはなかったようだ。喧嘩別れをしてしまったことを後悔している。大好きなおばあちゃんとでも、ずっと一緒にいると結局喧嘩になってしまうし、自分の生活が軌道に乗るとおばあちゃんの存在を忘れてしまう。寂しいが、まいが確かに強くなった証拠だ。

しかしこれから先、おばあちゃんの命日のたびにまいは喧嘩したことを後悔するのだろう。人間なんてそんなものだろう。生きてる間はたくさん喧嘩もする。大切な言葉は思っていても伝えられない。様々な後悔が降り積もりながらも、日々の忙しさに押しのけられて、なんともないかのように生きていく。

 

子どもの頃の悩みもずいぶんとちっぽけに感じるようになってきた。成長は強くなることなのか、鈍感になることなのか。『西の魔女が死んだ』ほど、揺れ動く思春期の女の子の感情に寄り添ってくれる話はないように思う。これから先も、この本に救われる子がたくさんいるのだろう。それから植物の緑が感じられなくなった、心が疲れた大人たちにも染み入る物語だ。

 

私は4年間の東京生活でひどく疲れたように感じた。とても楽しかったのも事実ではあるが。今はまいのように、自然の中で寝っ転がって「エスケープだー」と叫びたい。

 

 

映画『17 Again』の感想:私に戻りたい過去は無かった

投稿が2週間空いてしまった。引越しはなんとか終わった。

引越し準備の忙しい中でも睡眠時間を犠牲にして何本か映画を見たので、その感想を少しずつ書いていこうと思う。

 

まずは『17 Again』

ハイスクールミュージカル、最近だとグレイテスト・ショーマンで話題になったザック・エフロン主演、2009年公開の青春コメディ映画である。

 

以下、かなりざっくりしたあらすじ。

ザック・エフロン演じる「マイク」は高校時代ちょーすげーバスケプレイヤーだったが、大事な試合でバスケより恋人を選んだ。

その恋人と結婚し、子ども2人をもうけ、30代になった「マイク」はあることがきっかけで会社をクビに。妻とは離婚の危機、子どもたちは反抗期で口を聞いてくれない。そんな崖っぷち状態で「17歳に戻りて~」と願うと、本当に見た目だけ17歳に戻ってしまった。親友の息子ということで高校に再入学すると、自分の娘は超チャラい男と不健全な交際をしていることが発覚。さらにその娘の彼氏は息子をいじめていた。なんとか娘とチャラ男を別れさせ、息子を立派なバスケプレイヤーに導きたい。そして、妻との離婚を阻止するためにマイクは奔走する。

 

こんな感じ。ハイスクールミュージカルを見ていた人には超おすすめ。なぜならザック・エフロンがバスケするから。それだけでもう見る価値がある。あの名曲『Get'cha Head In The Game』を彷彿とさせるようなシーンもあった。

 

私は初め、字幕版で見ようと思ったのだが、ハイスクールミュージカルを吹替版で何度も見たせいで、やっぱりザック・エフロンの声は森田成一さんであるほうがしっくり来たので吹替版に変えた。(ジャッキー・チェンは日本語を喋るものだと思い込んでいたと誰か芸人が話していたような気がする。そんな感じ)(ジャック・スパロウも平田さんのイメージ強くないですか?)(余談でした)

だから結局、いい演技をしているのがザック・エフロンなのか、森田さんなのかというのはなんとも言えないところではあるが・・・笑。自分の娘やその友達に対して、恋愛はどうすべきだとか、若い時にはこうすべきだとか、諭すように語るシーンが何度も出てくる。それはただ説教臭いものではなく、子どもたちへの深い愛情が込められていて、なんだかぐっとくる。私は多分、この映画を見るのは2回目なのだが、前回見たときよりも心動かされた気がする。それは私が高校生より親世代に感覚が近くなったからなのだろう。他人の子どもであっても、なるべく笑って過ごせるような毎日であって欲しいし、自分を大切に生きて欲しいと願ってやまない(究極の誰目線?)

 

後半はややグダった印象で、少し早送りしながら見たのだが、まあ期待通りのハッピーエンドで大満足。やっぱりこの時代のザック・エフロン最高。

ハイスクールミュージカルってわりと(高校生にしては)ねっとりとした恋愛を描いている印象で、それがなんだかなあと思っていたので、17Againのほうがさっぱりと、そして「心を通わすこと」の大切さを描いているようでよかった。

 

そして自分の17歳のときに思いを馳せても、とくに戻ってやり直したいことは思いつかなかった。悲しいのか、17歳を大満喫できたのか。今でも仲良くしている友達ができたのは17歳のときだったかも。マイクのように30代になっても仲良くしていたいものである。

それから、自分の中で舞台やミュージカルへの興味が湧いたのが17歳のころだった。地方に住んでいたため、年1回程度しか見にいけなかったが、自分の私生活の思い出以上に、きらびやかで鮮明な記憶として残っている。田舎の狭い世界で淡々と家と学校の往復を繰り返す毎日だったので、ドラマのようなハッピー17歳!キラキラ高校生ライフ!などは送っていなかった。学校の最寄りにマックもなけりゃ、サイゼもない。1時間に1本の電車も高校の下校時間と合わず、毎日なにもない駅のベンチで1時間喋る。喋る。喋る。あ、そうだ。英語の学力がまったく足りていないことを受験生~大学生の間ずっと痛感していたから、暇なら英単語のひとつでも覚えておいたらよかったかな。そんなもんですわ。

 

ブログ再開1日目なので、今回はこんな程度で失礼いたしやす。

パンの記憶 #3 :サンドイッチとの出会いと別れ

 素敵なパン本(パンがテーマになった本)と出会った私は、それ以来パンを好んで食べるようになった。

 

taiyotopassion.hatenablog.com

 

しかし、このあと私はまた1冊の本と衝撃の出会いを果たす。

 

タイトルは忘れてしまった。覚えているのは、訳あり主人公がカフェを経営するということ。人との付き合いにトラウマがあったが、食事を通して少しずつ心を開いていく。そんなある時、客がサンドイッチに異物が混入しているとクレームを入れてくる。しかしその異物は、客がカフェの評判を落とすために自ら入れたものであった・・・といったような内容だ。

 

その異物というのがなかなか衝撃的なもので、私はそれ以来サンドイッチが食べられなくなった(どれだけ影響を受けやすいんだ、自分)

 

月日は流れ、大学1年生の頃だっただろうか。「萌え断」呼ばれる、断面が鮮やかで美しく、美味しそうに見える豪華なサンドイッチが流行した。それを見ても、綺麗だなと思うだけで食べてみたいとは思わなかった。

 

大学2年のとき、何がきっかけかは忘れたが、メルヘンのサンドイッチを食べる機会があった。

 

いや、サンドイッチってめちゃくちゃ美味しいじゃん!

 

私は自らに課していた「サンドイッチ禁」を速攻で解禁した。その時食べたのは確か、ポテトサラダサンドとフルーツサンド。どちらも人生で初めて食べた。

普段からポテトサラダ自体あまり食べないため、サンドイッチにポテトサラダを挟む発想ですら謎だった。しかし、メルヘンはマヨネーズもオリジナルで作っているらしく、パンに合う合う。きゅうりから水分が出ていない!天才か!毎日食べられそう。

フルーツサンドも人生で初めてだった。それはまるで宝石箱だった。ケーキよりも軽いのに満足感もある。すっかりフルーツサンドの虜になってしまった。

 

それ以来、メルヘンだけでなく様々なお店のサンドイッチを食べた。「萌え断」サンドイッチも食べた。食べごたえがすごかった。野菜とキノコたっぷりのサラダ系サンドも、タンドリーチキンやテリヤキチキン、ケイジャンチキンといった超おかず系チキンサンドも、禁断のコロッケサンドも気に入った。

 

そしてその2年後、ふと私は気づいた。

 

普通のサンドイッチよりホットサンドのほうが好きだ

 

とろっと溶けたチーズ、熱が入って甘さが増したトマト、すこしクタッとしたレタス。そして何よりサクサクのパン耳。最高。

 

20歳をこえたからだろうか。温かいスープと温かい紅茶、そしてホットサンド。胃があたたまると幸せに感じるようになった。

 

 

 

と、ここまで書いてみて思ったのは「めちゃくちゃどうでもいいな」ということ。これを読んだ方もそう思うのではないだろうか。パンシリーズの記事はこれで終わりにします。

 

でも人は誰しも、パンにまつわる思い出があるのではないだろうか。パン好きでパン巡りが趣味の方ならなおさら。みなさんもぜひ、パンを軸に人生を振り返ってみてください。きっと、忘れていた何かを思い出せますよ!